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「隠れた存在」そこで経験するもの

 
前置き〜
先日、オーラソーマサロンのkanaさんに
チャクラ講座をお願いしました。
 
チャクラって何?という方もいると思いますが、
私もそれとほぼ同じで…
 
見聞きしたことを言葉で紹介できても
何もわかっていません。
 
そこで、誰からチャクラを教わろうかと、
ピンと来る方に出会うのを1年くらい待ってました。
 
そしたらね、やってきたんです♬
kanaさんとの何気ない日常会話から。
 
ピンときたら即、リクエストしましたよ。
オーラソーマ目線での チャクラのお話。
 
 
そこでね、学んだことは
チャクラって何?っていうより、人生そのものの話。
 
 
 
チャクラって。(すべてここに記載しきれないのでネット等で検索してみて^^)
 
いわゆる下位チャクラはね、
人間が生きてくうえで、とても人間らしい部分を象徴します。
 
そして、やはり私たちの生活(生命活動)のベースとなるんですね。
例えば、お金のこと、欲求的なもの、エゴも含み。
 
「自分の声に従う」って言葉を見たときに、
   ちょっと嫌な意味での我が儘的な。
 
 
一方、上位チャクラは、宇宙的な意味合いが強まっていきます。
「自分(宇宙)の声に従う」の意味が、さっきの嫌な感じからサレンダーに変わるように。
 
 
そして、よく知られる主要7(8)チャクラの裏に隠れるものってのも、紹介してくれました。(2と3の間と、3と4の間)
それが、タイトルの「隠れた存在」から経験するもの。
 
 
チャクラ的成長を段階を追って、登ってく中で
私たちは「魂のもつ使命」に出会おうとします。
 
私的解釈ですが、
そこには「出会いたい」というエゴ的欲求と「必然的に出会う」という導かれ感が融合する。
(求めよ、さらば与えられん。という感じ)
 
それは、求めたんだから、受け容れるのはいとも簡単なようで、簡単には受け容れ……られないことも多く、
時に根底から覆されるんですね。
 
「え?!それですか?!」…
「私、これまでこんな風にやってきたんですけど、そっちに行っちゃうんですか?!」とか
 
いやはや。
私たちは成長過程で、ずーーっと真っ直ぐだった訳じゃないので、むしろ真っ直ぐの外にあるものも経験したがるのが魂の欲求(今読んでる本に書いてた)だそうなので
 
本心、というか、魂の目的って、
気づいた時に、「どーしよ…どうする?!」という戸惑いは付き物なのかもしれません。
 
 
そして、自分の内側の純粋な声ってどれなんだ、と戸惑い、
思考やエゴとの境界線もわからなくなり、
サレンダーすることに向かって様々に試される。
 
苦い苦い想いも味わい、
辛い苦しいももちろんだし、
積み上げてきた地位とかまわりの評価とか、人間関係とか、
留まっていたい感覚や、一番大切なものを失うほどの変化を恐れる感情や、
山のように…それらはやってくる。ほんと、、容赦ない...(わずかな経験の中でも実感中)
 
 
そして、行き来するんですね〜
下位チャクラのステージに戻ったり、
また上に登ろうとしたり、
 
最後は…………、
諦め、なのかもしれません。笑
 
「あぁ...わかりました。」って。
 
 
握りしめていた色々を、自分の意思で、手のひらの力を緩めるんです。
 
 
自分のエゴ的な感情がどれくらい薄められるか、
どれくらい諦め(笑)、サレンダーするのか、
 
そこからは、宇宙の采配次第。委ね、流れにのる。
 
 
 
「人は、エゴとともに生きる生き物なんだ。そこに人間的な歓びがある。」
ずっとそう思っていた手強い私の心を、動かしたkanaさんのお話。
正直、主要チャクラよりも、裏に隠れるふたつの意味に衝撃を受けた私。
 
それは私を呼んだオーラソーマボトルが示す「魂の目的」ともリンクする。
(話しはじめるととまらない...私の魂の目的はまたの機会に。)
 
とにかく、「壮大な愛のストーリー」は、ひとつ上に段階に入った。