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迷い


時々、人に話す。

私が迷っていることを。


--- 迷い。
それは、心の奥の方で 違和感 として 消えることなく あり続けるもの。

それを、誰に打ち明けるのか、を、
その誰かに出会うのを 人生の中で待っていたりする。


あるいは、誰かに話したりもしたけれど
互いにしっくり来ずに 言葉を交わして流れ去ったこともあった。


それがこの春、どんっと受け止められた。
私が打ち明けた言葉を、胸の真ん中でどっしりとキャッチし、それから、わたしの胸の真ん中にあいた穴へと はめてくれた。


--- 私はわかっていたのだ。

自分の中で、ずっと前から わかっていたのだ。
このボールは、ここにいれるんだと。
わたしの行く道は、ここであっていると。

だけど、長い間
握りしめたボールを、入れようか入れまいか、
迷っていたんだ。

絶対、ここにいれるとわかっているけど
自分ひとりではめることができなかった

なぜなら、
その辺りには たくさんの人がいるのに
私がいる そのエリアには
他に誰もいないように見えたから。


人は、孤立することを怖がるんだな。

人は、誰かと一緒にいたいと願うから、
ひとりぼっちは寂しいし、誰かと一緒にじゃないと自信がもてないから。


そこで合ってるよって
その道で大丈夫だよって、そんな声を聞きたい。


例えば、ずーっと、ビビりながら歩いてるより
時々「 大丈夫だよ 」って言葉もらえたら
心と体がほわって広がって、見える世界が広がるから。


そして、今日またそれを経験した。


過去に これはこうだよって、教わったけど
私の体では違うことが起こる

「 わたしは間違ってるのか?」の問いに

「 それで 大丈夫 だよ 」って。

今はまだ、この世的な 外からの 言葉 としての支えが必要な段階だけど、

この経験を積み重ねていくことで

自分の中で、誤魔化しの「大丈夫」ではない
本当の「大丈夫」が聞こえる ことがみえている。


そして、
すべてを自分の内側だけで解決しなくてもいいこともわかっている。


誰か(自分の外)からの メッセージは
自分の内からの メッセージと同じ なんだよ。


なぜそう思うか。
私が 深い部分の私 に、それをお願いしたから。

「 私に わかりやすい形で 教えてください 」と。

そしたら、信頼する人の言葉にのせて 教えてくれたんだ。

「 大丈夫 だよ 」って。