現実のうごめく渦の中にいることを選ぶと
そこには、見て見ぬ振りや
表面だけを掬うような会話がたくさんある。
思っていることと
やってることの不一致や
取り繕うことで成り立つ関係
感覚を濁して
わからないことにする人たち
--- それが普通なんだ、という。
その「普通」っていう呪縛に気づくのは…
姿のない「普通」っていう何かにコントロールされて、「自分」を「本質」を 出せずに生きていることに、気づくのはいつ?
私たちが本当のしあわせに気づくことを阻む
形のない存在が
本当は必要のないルールを張り巡らせて
私たちを束縛し、コントロールしようとする。
まんまと、それに操られながら生きているなんて
なんと不自由なことだろう。
本当は純粋な歓びを広げてゆける私たち。
共鳴し、同調するはずなのは、「純粋さ」
失ってしまった純粋さを取り戻して。
落ちてしまった次元をあげてゆこう。
還ることができたら
「自分の役割」も 考えずともわかるはず。
「私は何のために?」っていう疑問は、疑問ではなくなる。
真っ直ぐに生きることが、歓びとなる。
純度をあげよう。
そのためのひとつが、体を動かすこと。
体の中に眠る記憶を呼び覚まそう。